『活字無しで印刷出来る機械の発明』

出典

杜川生「印刷界の一大革命 活字無しで印刷出来る機械の発明」

『実業之日本』大正14年12月1日号, 実業之日本社, 1925, pp. 129–133

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印刷界の一大革命 活字無しで印刷出来る機械の発明

革命的の大発明

米屋の主人とその番頭さんが、我が国印刷界に一大革命を齎すべき邦文写真植字機といふものを発明したといふと、誰しも驚くであらう。而もその番頭さんであり、而してその発明家の一人である森澤信夫君といふのは、学歴とては小学校を卒業したばかりのまだ廿五歳の青年であると聞いては、更に眼を丸くするであらう。而して同じく発明家の一人である米屋の主人といふのは、店では前垂掛で小糠に白く塗れてゐても、石井茂吉君といつて東京帝国大学出身で今年三十九歳の工学士であるといへば愈々奇異に感ずるであらう。兎に角一米屋の主人と、さうしてその番頭さんが今度邦文写真植字機といふ偉大な発明をなした。否この両人はこの発明のために俸給生活から米屋の主人となり番頭となつて大成したといつた方が正鵠であらう。

さて、活版印刷といふと、直ちに活字を聯想する位に、現在の印刷には活字がなくてはならぬものとなつてゐる。否今日の印刷なるものは活字を基礎として発明されたものであつて、活字なくしては印刷は到底出来ないものと従来思はれてゐた。而も現在日本の印刷業者がこの活字のためにどれほど苦労してゐるか分からない。複雑なる日本活字の不便と困難、余計な手数と莫大な冗費とは、日本の活版業の発達に非常な障害となつてゐるのである。それは日本では漢字活字といふものが一種の癌となつて、印刷事業にこびりついてゐるからである。我が国がこの漢字なるものをば全然放棄して使はなくなれば兎も角、漢字活字を持ちゐてゐる間は、永久に忌はしい癌腫として日本の印刷事業を禍することであらう。然るに今や我が印刷界に輝かしい黎明が訪れて来た。それは前記石井工学士及び森澤両君の発明にかゝる邦文写真植字印刷機の発明であつて、実に我が国印刷界に於ける劃時代的大発明であり、延いては我が国将来の文明に多大の貢献をなすものとして非常な注目を惹いてゐる。

今日の印刷事業界

この器械【ママ】の構造を説明する前に、先づ今日の印刷事業の状態に就て一言しなければならぬ。従来の印刷といふと、凸版印刷(普通の活字印刷及凸版刷)平版印刷(石版、ヂンク版、アルミ板の如き)凹版印刷(今日流行のグラビア印刷の如き)に次いで、今から十七八年前にオフセツト印刷術が発明されて、平版印刷に一紀元を劃したのである。それはやはりヂンク版やアルミ版を使ふのであるが、版面から直接紙へ刷るのではなくて、一度ゴム板の上に印刷し、そのゴム版から紙へ印刷するのである。この方法は如何なる種類の紙にも鮮麗に印刷され、版の耐久力も強く、印刷速度も迅速なので、最近非常な流行を来した。この方法は一方写真応用の製版術の影響を受けたもので、石版印刷発明時代には版を一々手で書いたものであるが、写真術を利用して写真製版によつて簡単に印刷されるやうになつてからは、目覚ましい進歩を遂げたのである。

従来オフセツトで刷る所の文字は、先づ活字を組んで普通の活版方法で一旦印刷物をつくり、これを写真に撮つて文字の種板をこしらへ、然る後にオフセツトに印刷するのである。が、この活字を組んで一旦普通に印刷するといふことは、可なり厄介なことであり、無駄な手数である。これを何等かの方法で活字を使はないで、文字の種板をつくることが出来たならば如何に便利であらうかといふことはだいぶ前から考へられてゐた。而してこの考が最近具体的となつて写真植字機なるものが案出され、外国では幾多の熱心家が苦心焦慮し、種々の機械が出来た。ハンター、バウトリー、ダツトン、ワルトン諸氏の機械はその主なるものである。而して又一方には活字そのものを自動的に組んで、一行になつたところで、一枚の印刷が出来、それを写真フヰルムの代用として、平版その他に転写しようとするタイパリーといふ機械も出来てゐる。かういふ風で今や欧米の印刷界は、活字そのものを用ゐないで、たゞ一枚の写真フヰルムから製版印刷をする方法の完成に焦つてゐる。然しこれらの機械と雖も今なほ研究中のもので、実際的方面に使用されてはゐない。けれども近い将来に於て実用的なものとなることは疑を容れないのである。

両君の発明の苦心

斯くの如く欧米の印刷界は、写真応用の製版術によつて、活字を使はずに印刷を行はうといふ研究が盛んであるに拘らず、漢字といふ癌腫に取つかれてゐる我が国の印刷界では、漢字によつて起る複雑と不便のため、到底かゝる新技術の恩沢に浴し得ないものと観念してゐた。

ところが意外にも突如として邦文写真植字機なるものを案出し、我が国の発明界及び印刷業界を驚かしたのは、前記石井、森澤両君である。両君は改善に改善を重ねて特許を得ること前後三回、その試験機は殆んど完成の域に近づき、今や東京高等工芸学校教授鎌田弥寿治氏、同伊東亮次氏等の熱心なる指導と援助を受け、特に同校に研究室を提供され、これを完全に実用たらしむべく研究に没頭してゐる。

石井工学士は前記の如く明治四十四年東大機械科出身である。森澤君は学歴こそないが、発明にかけては天才的で、既に星製薬株式会社の吸入器、水枕、その他十余種の特許をもつた人である。両君は昨年まで共に星製薬に在勤し、石井君は同社の高級技師で、森澤君は同社の現場主任であつた。而してこの邦文写真植字印刷機の発明を思ひ立つたのは森澤君であつて、同君はこれを石井工学士に計つたところ、同学士は非常に共鳴し、共に相提携してその発明の研究完成を誓ひ、遂に今日に至つたのである。

両君は共に勤務の余暇を利用して、一心同体となつて研究に没頭したのであるが、勤めの身では到底その完成が覚束ないといふので、両君共昨年前後して退社してしまつた。然し由来発明家に伴ふものは生活難である。両君は生活難のために機械の完成の遅延することを恐れた。而してその生活の安定を得べく雄々しくも石井君は父の業を嗣いで米屋の主人となり、森澤君はその番頭格となつて両人共に前垂掛で小糠にまみれながら、馴れぬ手つきで米を量り、得意廻りをなしつゝ、暇さへあれば前記東京高等工芸学校の研究室に通つて研究に従事してゐる。

両君はこれまで印刷術についてはまつたくの素人であつたので、その苦心は容易なことではなかつた。この機械を発明するには、先づ印刷術、写真術、レンズに関する知識、及び電気に関する素養がなければならなかつた。而もその中最も苦しんだのはレンズの問題で、各種のレンズによつて文字の大小を調節するのであるが、そのレンズの計算は非常な難問題で、専門家の言によると、レンズの設計だけに六七年かゝるといふので、両君は一時失望したが、凡ゆる困難と闘ひ、経験を重ねて遂に四通りの変化を得るやうになつたさうである。

(右)石井茂吉氏と(左)森澤信夫氏

印刷界に及ぼす影響

両君の発明にかゝるこの邦文写真植字印刷機が実地に利用される場合には、我が印刷界に如何なる影響を及ぼすかといふに、前記東京高等工芸学校教授鎌田弥寿治氏の意見によると、

一、 本機は先づ第一にオフセツト印刷に応用される。現代の如き活字を基礎としてゐる文字の印刷設備に於て、活字を全然放棄して新設備をなすといふことは至難の業であるが、本機をオフセツトに利用することは極めて容易のことである。而してこのオフセツト印刷が活版印刷よりも経済的に能率的に優越であるといふことが立証さるゝに至つたならば、印刷界の革新としてオフセツト全盛期が来るであらう。この場合本機を使用すれば、活字を組んで活版印刷物を作り、而して後これを写真に撮るといふやうな必要ななく、直ちに文字のフヰルムが出来るから極めて簡単である。

二、 オフセツトと同じ理窟で、ヂンク版やアルミ版などに応用することが出来るから小工場などで利用すれば非常に便利であり経済でもあらう。

三、 本機によつて撮影した文字のフヰルムから簡単に亜鉛凸版が出来る。されば小規模の印刷屋などで利用したならば活字を貯蔵する必要もなく至極便利である。

四、 近来グラビア印刷が非常な勢で流行してきたが、この種の印刷物に文字を挿入するには、オフセツトと同様、活字から印刷したものを写真に撮つて貼り込むのである。然るに本機をこれに利用すればその手数が省けるわけである。

五、 本機は全然活字を用ゐないのであるから、活字、及びこれを蔵置する工場といふやうな固定資本を要しない。

要するにオフセツト印刷が活版印刷と同様な仕事をなし得るまでに大成した場合、本機の応用は印刷界から難物の活字といふものを全然駆逐することになつて、それこそ印刷史上に一大革命が来るわけである。而してこれは単に想像に止まらず、確実なる可能性をもつて着々としてその大成に近きつゝ【ママ】あるのである。

機械の構造

新発明の邦文写真植字機

鉄製の台の上に文字盤(イ)が置かれ、手を以て軽く前後に移動し得られる。文字盤は硝子板に数千の文字を配列した(試験機には三千百余字を収容してゐる)もので、文字を透明に、地を黒色に焼付けてある。この硝子板を鉄製の枠に篏め込んで、これにローラーを着けて、機台のレールの上を縦横に動くのである。機械の最上部(ロ)は暗箱であつて機台に固定されてゐる。暗箱の上半部は蝶番で開くやうになつてゐて、中に写真フヰルムを取付ける円筒が入つてゐる。暗箱と文字盤の中間にシヤツター(ハ)レンズ函(ニ)中空管(ホ)がある。中空管の下端は細く角型になつてをつて、文字盤の文字が一字だけ入る大さになつてゐる。文字盤の下には電灯装置があつて文字盤を明るく照らしてゐる。この明るく照された文字は、中空管及びレンズを通つて、暗箱内のフヰルム面に焦点を結ぶやうになつてゐる。常はシヤツター(ハ)が閉ぢてゐるからフヰルムには感光しないが、図の右方に見えるボタン(ヘ)を下へ押すと、レバー装置で横棒(ト)がねぢられてシヤツターが開き(五十分ノ一秒位の露出で)フヰルムに文字が撮影される。

ボタン(ヘ)を押すと、同時に連結棒(チ)が引き下げられるが、ボタンを放せば(チ)の棒も元の位置に戻る。この棒の戻りの運動で歯輪(リ)が少しく廻転し、同時に暗箱内のフヰルム胴が廻転して次の文字を撮影する位置を与へる。であるから文字盤を動かして必要な文字を次々と撮影してゆけば、フヰルム面には一直線に字が並んで写される訳である。

歯輪(リ)と連結棒(チ)との調節で、字と字の間隔を変へることが出来る。レンズ函の上に見える円形の把手(ヌ)を廻せば、レンズ函やシヤツターを左右に動かすことが出来る。これで行と行の間隔が調節される。この字間行間の調節は可なりの細かい変化ができる。

斯うして撮影されたフヰルムを暗箱から取出して現像すれば、このフヰルムから種々の印刷用製版をつくることが出来るのである。

校正はこのフヰルムで行ふので、フヰルムの一部を切り取つたり貼り込んだりすることは容易であるが、誤字や脱字などがあまり多いやうな場合には全部撮影し直す外はない。兎に角校正に手数のかゝるのは止むを得ない事であるが、最初から注意してやれば、さう間違ふものではないのである。

レンズで文字の大小が出来る

レンズ函(ニ)は短円柱形のもので、軸を中心にして周囲に数個の孔があつて、レンズが一組づゝ入つてゐる。そしてレンズ函を廻すと、各のレンズが順番に中空管(ホ)と一致する。各レンズは異なる焦点距離を持つて居つて、同じ文字盤の文字を大小種々にフヰルムに写すのである。即ち一枚の文字盤があれば大小各種の文字が撮影出来るので頗る便利である。試験器【ママ】には四種のレンズが用ひてあるが、新製機には六乃至八種、六ポイントから三十六ポイント位のレンズを着ける筈である。此の装置は特に苦心を要したもので、数夜連続して二時三時まで実験したものである。

字間行間を記録する装置

撮影される文字は無論見ることは出来ない。そこでせめて文字の位置、字間行間等を見られる装置があれば至極便利である。この目的の為に回転記録装置がある。中央後方に見える記録胴(ル)は暗箱内のフヰルム胴と同形で、且つ同様の廻転をする。フヰルム同形の紙をこの記録胴に取付け、紙上に印する点印によつて文字の位置字間行間を知るのである。ボタン(ヘ)を押せば横棒(ト)がねぢれてシヤツターを開くことは前に記した通りだが、同時に、槓杵作用で槓杵の先端の突子が【杵はママ】記録胴を打つ仕掛になつてゐる(図ではレンズ函と中空管の影になつて見えぬ)。突子にはインキを附着する装置があるから記録胴の紙上に点印する。印刷せらるゝものが単に文字ばかりでなく、写真や絵画などを挿入するやうな場合には、予め、記録胴の紙上にその位置を記入し、植字すべき場所を定めて置いて、その通りに点印するやうに植字してゆけばよい。そして出来上がつたフヰルム写真や絵画のフヰルムを貼り込めばよいのである。

巧妙な電磁石装置

文字盤を移動して必要な文字をレンズの直下に置いてボタンを押せばよいのであるが、手加減で正確な位置に置くことは到底むづかしいことで、これを自働的に行ふ電磁石装置がある。文字盤の後側に取付けられた歯棹(ワ)と、電磁石(ヲ)によつて作動する槓杆(カ)の先端とが噛み合ふやうになつてゐる。双方の歯の位置が少し喰ひ違つてゐても、電流が通じると噛み合ふ力で引き寄せられて、正確な噛み合の位置に固定される。電磁石(ヲ)と槓杆(カ)は文字盤を乗せてゐる下の鉄枠に取付けてあるから、文字盤が歯の喰違ひの距離だけ移動して固定されるのである。そして双方の歯が噛み合つた位置で、文字とレンズとが正確に一致するやうになつてゐる。ボタン(ヘ)は二重ボタンになつてゐて、上のボタンに指が触れゝば直ちに電流が通じで電磁石が動くから、シヤツター(ハ)の開く前に文字盤は正確な位置に固定されるのである。

電磁石装置

文字の不足は殆どない

試験機の文字盤には三千百余字を収容してあるが、新装機(製作準備中)には約四千五百字位を収容する予定で、文字の不足は殆どないやうに出来るさうだ。文字の大小はレンズによつて出来るのであるから、各字体に就て一枚づゝあればよいので、全部揃へても極く僅少の場所で済む訳である。これを活字で揃へるとしたら大変なことで、到底完全に揃へるといふことは不可能である。植字の速度は試験機ではまだ充分に実験出来ないが、邦文タイプライターの印字速度より速く出来ることは予想し得られる。それは第一、動かす部分の軽いこと、第二、文字の明るく見易いこと、第三、文字盤を自働的に固定すること等の理由から必ず植字能率は相当に高め得るであらう。

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